昭和39年12月3日  朝の御理解

 今日は、しかし「エ-」御祈念が早かったですけれども、「あの-」善導寺の御大祭でございます。今までの様なわけに参りません今度は、わたくしが総代の方をさして頂く事になりましたですから、早目に参りたいとこう思っております。「ア-」御神前座に今朝つかせて頂きましたら、柱と、柱と言う言葉を頂くんですネ。
 わたくしは、思いますのに教会協会の中心は、もちろ教会長先生ですけれども、「オ-」やはりあの総代が柱と思うんですネ。
 だからその柱がやっぱりしっかりしとらなければいけない。大祭だと、言うのに、まだ総代がまだ来とらんかと言った様な事ではいけないしですネ。わかっとる先生も、あげん、しん心配なさる事はないでしょうけれども、「ア-」安心なさらないし又、どう言われるやらわかりません。同時に私くしは柱と言う事を頂いてから「あの」御教に「若い者は信心の柱に虫を入らせなよ」と、おっしゃる様な御教がございますが、若い者と言うことは青年と言う事でしょうけれども、まあ-信心が青年と言う事でしょうね。信心の若い私くしどもは、そうゆう意味あいで信心が若いわけですから、私くしは、この柱に虫をつかしちゃならんとか虫を入らしちゃならんとかと、言う、「その-」例えばです。私くしが今日善導寺参ります。 どうゆう事を見ても聞いてもです。その心を濁さん様にせなきゃならない。  もうちゃんと、こっちから受ける受けるけいこつけっとく、どつこいと受ける心をつくっておくまあそうゆう風に感じておったんですけれどもネ。そうじゃないです。私くしが思うのにネこれは心を尽くすと言う事だと思う。心を尽くしておる、心を尽くしておる時ならば、もう虫がつくとか、つかないじゃない、もう虫がよりつく隙がなかろと思うんですネ。これは、「あの」大祭と言う、親教会大祭私くしが参ります。心構えと言うだけではなくて、日々がそうだと思います。思いを尽す、心を尽すと言う事、勿論信心ですから形の事ではありません。その心を神様にうち向けていつも心を神様にうち向けていつも心を尽しきっていくと言う所には、もう虫の寄りつき場がなかろうと、こう思うんですネ。ここん所を今朝、解からさして頂いた様な気がいたします。
 色んな事を聞いても見ても、それによって、自分の心を濁す様な事があっちゃならんと言う様なおかげを頂ただかなければならんと、こうゆう風に思っていた。これがダメですネ。
はいこちらが心を尽くさないけません。そうゆう意味あいで今日私くし、早目におかげ頂きたいと思いますから、少し早目に御祈念を切り上げさして頂きました。おかげ頂きます様に。